ノンセク おひとり様人生

ノンセクシャルでも幸せに生きたい。セックスできないアラサー女のこれまでとこれからのこと。

ノンセクだけど恋愛について本気出して考えてみた。好きって何ぞや?編

こんばんわ!あっきーです。今日から3月ー!今年の2月くんはわたしの推し並みの俊足。オリンピックに夢中になってたら逃げ去っていたよね、ビックリ。

前回までは婚活体験談シリーズをやってきた訳ですが、ひと段落着いたので一旦お休みです。お好み焼きマンとファッションチェッカー☆ピーコ、ともに反響ありまして嬉しい限りです。しんどいながらに婚活したあの日の私は浮かばれた。みなさんありがとう…ありがとう…。

今後は記事ごとにひとつテーマを決めて、自分のこれまでのことやいま考えてること色々お話していきたいなぁ!と思っています。というわけで、前回のあらすじ書くの何気に楽しかったけど今回はナシですよ!笑

 

さっそくですが、今日のテーマはタイトルにもあるように、恋愛における「好きって何ぞや?」です。

恋愛、もう単語聞いただけで身構える程度には苦手意識がすごいですね!婚活しとった奴がなに言うてんねーん!って感じかも知れないですけど、わたし、基本結婚と恋愛はバッサリ分けて考えてます。それは今もそう。恋愛はしたくないけど、結婚はしたほうが良さそうだなぁ…と思って、恋愛経験ないままに恋活ぶっ飛ばして婚活していたくらいなので。

恋愛、結局のところそんなに興味がないんですね。人がしているのを見るのは嫌いじゃないし素敵だなって思うこともあるけど、すすんで自分でしたいとは思えないというか。自分が恋愛している姿なんて全然想像できないし、実際彼氏がいた時もどう振る舞えばいいか分からなくて、めちゃくちゃ悩みました。

その悩んでいたときに、ずーっと考えていたのが今回のテーマ「好きって何ぞや?」ということなんです。

 

好きってなんなんです???

よく言う「ラブとライクの違い」みたいなのあるじゃないですか?あなたのこと好きだけど、そういう好きじゃないんです、的な。ラブが恋愛における好き、ってことなんだろうな!っていうのはなんとなく理解はできる。だけどその「ラブのほうの好き」の中身やライクとの違いが私にはよく分からないんです。

 

ノンセク自認前、彼氏がいた頃は楽しいことより悩むことのほうが断然多くて、恋愛に詳しそうな友達に色んなことを相談していました。その度にみんなが聞いてくれるんです。「あっきーは彼氏さんのことラブの意味で好きなんだよね?」って。

そう聞かれてしまうと、分からなさすぎて頭を抱える他ないわけです。まず、その好きがよく分かんないんだよ!と。お前、なんで好きかどうかよく分からんままに付き合ってん?アホちゃうか?と言われちゃいそうですけど、本当にその通りです、ごもっともです。

悩み抜いて必死に導き出した答えは「決して嫌いではないし、どちらかと言えば好ましい」なんですけど、それを友達に伝えるとみんな一気に表情曇っちゃうんですね。あ、この答えは彼女たちの中では不合格なんだな…ってその表情で悟るわけです。また間違えちゃったんだな、私はみんなと同じ気持ちになれないんだなって悲しくなるわけです。

 

ここまで聞いたセクマイに理解のある方、ちょ…待てよ!ってキムタク召喚したくなりますよね?お前それノンセクやなくてアロマンティックアセクシャル、いわゆるAセクちゃうんか!って言いたくなりますよね。分かる、正直わたしもそう思う。

言葉の意味が分からない人はこのブログの一番最初の記事、ノンセクアラサー、ブログはじめます!を読んでみてくださいね。

わたくしノンセクシャルは自認していますが、Aセクかどうかは非常に悩んでいる部分があります。それでも自分はノンセクシャルなんだろうなぁ…と思っているのは、少なくとも今までに恋をしたことがある、そう考えているからです。

 

初恋は中学生のとき。

地元の小学校からかなり離れた私学女子校に進学して、中学生から電車通学になったわたし。

朝の張りつめた冷たい空気、地下鉄の駅、乗り換えのホーム、白い息を吐きながら気付かれないように、いつも通りそっと隣の列に並ぶ。真っ直ぐに前を見据える横顔をひとりこっそり盗み見ては、今日も素敵な一日の始まりだと感じる。

そんな何気ないことが、嬉しくて嬉しくて仕方ない時期があったんです。青春だねぇ…。まあ、一目惚れの相手は左手薬指にリングが光るブラックスーツのサラリーマンでしたけどね、ええ。

 二次元とかアイドルとか俳優さんとかもそうだけど、やけに昔からそういう自分から遠い存在に恋することが多かったような気がします。どう頑張っても縮められるはずもない距離感、叶わないって分かりきってる想い。それを感じながら一人でする恋がひたすら楽しかったんです。でもその気持ちが「ラブのほうの好き」だったのかどうか、自分自身よく分かりません。

この間ちょっと調べてみたら、恋愛感情はあるけど両思いになりたくないセクシャリティっていうのがあって、リスロマンティックと言うそうです。それまんまわたしなのでは??って思った。わたしはリスロマンティックアセクシャルだったのかな??本当にセクシャリティには色んな種類があるので、日々お勉強ですね。

 

ちょっと話が逸れちゃいましたけど、とりあえずそんなノンセクの私はみんなの言う「ラブのほうの好き」が分からない。一体どういう感情なんでしょう?きっと、人によってその種類も定義も違うんだろうし、一概には言えない部分も大きいとは思うのですが…

自分で考えたところで全然答えが出る気配がないので、だれか教えてくれよぉ〜!と言う気持ちで、周りの人に聞きまくってみたわけです。

 ある人は「一緒に居たいなって思えることじゃないかな?」って言う、またある人は「自分のことはさておき、相手のために何かしてあげたい!って思うことじゃない?」って言う、そしてまたある人は「その人がほかの子と仲良くしていたらムカつくとか悲しくなるとか、嫉妬があったらそれはラブでしょ」と言う。

なんかそれっぽい回答な気もするんですけど、全然しっくりこない。わたし、仲のいい友達となら一緒に居たいし、何でもしてあげたいって思うし、彼氏の話ばっかりされたら嫉妬もしちゃうけどな??それ、恋愛に限ったことじゃなくなーい???という感じ。逆に初恋の人は既婚者だったけど、それに悲しくなることもなかったし、いよいよ訳が分からない。

 

まわりの恋愛に生きている女のコたちを見ていると、彼氏とうまくいっているときはほんとに楽しそうで、毎日お花が舞っている。恋するオトメというやつはこういうことを言うのだな…と思う。

そういう子たちの「好き」はすごい熱量を持ってる。彼氏と毎日会いたいし話したいし声を聴いていたいし、何よりも優先したいしされたいし、もっと必要とされたいし深く繋がりたいんだそうです。ひたすらお熱い、ものすごくお熱い。ヒューヒューじゃなくてジュージューだよ、焼けちまうよ。羨ましいの意味じゃなくて君のその想いの温度に私の心が火傷しちまうよ。

好きな人に対しては、同じ星のもと出会えた奇跡に感謝☆とか、どうか私より健康で長生きしてくれよ…という思いはあれど、それ以上相手に求めることはあんまりないんですよね。熱く燃え上がるこの想い!みたいなものがないに等しい。なんなんだこの差は。

 

なにがその温度差を作り出しているのか自分なりに考察してみるんですけど、やっぱり、私がノンセクシャルだからそう思うんじゃないかなぁ…と考えています。

さっきのラブのほうの好きって何を持って好きなの?の質問に対して、「そりゃアンタ、突き詰めたら結局、そいつとヤれるかどうかやろ!」と清々しく答えてくれたウチの母。たぶんみんなが遠回しに言ってくれていたであろうことを、淡々と伝えてくれてありがとう、わたし鈍感だから気が付かなかった、メッチャわかりやすい。

そもそも誰ともセックスできない私にとってしてみると、ラブとライクの間に違いはあるにはあるけど、他の皆さんほど明確な違いを見出すことが難しいんだと思うんですね。

 

燃え上がるような「好き」、やっぱりそういう愛し方は自分にはできないなぁと思う。いかなる時もちゃんと地に足つけて生きて居たいので、熱に浮かされるのはちょっと、って一歩引いてみてる自分がいる。そんなに全力で燃えてたらすぐ灰にならない?大丈夫?って心配になっちゃう。

それなら低温でじっくりゆっくりポカポカするくらいの「好き」のほうが、個人的に落ち着いていいなって思うんです。熟年夫婦みたいな関係性、すごく憧れてしまう。私の中では想いの熱量よりも普遍性に重きが置かれているのかもしれません。

たぶん、そこの想いに優劣はないと思うんです。どっちも「好き」には違いないわけで、その想いのどちらがより高尚かとか、そんなこと誰にも決められない訳じゃないですか?そこにあるのは温度差だけ。

でも他の人たちは、温度の高い「好き」を何よりも素晴らしいものとして崇拝してるイメージがあって、そこの感覚がなかなか理解できない。いつまでも熱狂的に愛するなんてことできるわけないし、少しずつその想いが変化していくのは当たり前だと思うのですが、それが許せないっていう女子多くないです??

 

個人的な経験則からだけど、長く付き合ってて、別れるカップルの女子が言う台詞ナンバーワンだと思ってるのが「彼のこと好きかどうか分かんなくなっちゃった、今あるの情だけだもん…。」っていう言葉ね。

みんなめっちゃ情のこと悪く言うけど、いいじゃん、情。なにが悪いんだろう、情。学生時代そういう話を何度も聞いたけど、考えても考えてもなにが問題なのか分からなくて困った覚えがあります。全然共感できなくて申し訳ない気持ちになりながら、毎回複雑な思いだった。

恋はいつか醒めるけど情はいつまでも裏切らないし、そっちのほうがよっぽど信頼できるなって思うの私だけです??むしろ私は情が羨ましい。熱いの苦手だから恋愛キャンプファイヤー、お互いの思い燃え盛りきって炭燻ってるぐらいのところから参加したい。なに??炭仕入れたらいいの??

 

わたしにはわたしなりに考える「好き」がある。元彼のことも好きだったら付き合ってたつもりなんですけど、さっき話したように友達に相談してると「それってほんとに好きなの?」って言われることめっちゃ多かったです。その度に私はちゃんと好きなんだけどな…って、悲しい気持ちになってました。

結局のところ、ノンセクシャルの私の恋愛感情に性愛は全く含まれていないので、セクシャルマイノリティではないロマンティックセクシャルの人たちからみたら私の好きは紛い物って見なされてしまうんだろうなぁ、悲しいけど。仕方ないことだったんだろうなって、今は思って納得することにしています。

 

それでも私は自分自身の「好き」に誇りを持ってる。好きって恋愛のそれだけじゃないわけじゃないですか?自分の中で「ラブのほうの好き」に燃え上がるものはないけど、その分の好きの容量が「ライクのほうの好き」に割り振られてるんじゃないかな…?って思う程度には趣味に感情全力投球なんですよね。

オタクではないけど、まあ漫画とか読んだりする友達がいて、その子が私の好きな作品を読んでるって聞いたから、それめっちゃ面白いよねー!キャラ誰推し?あそこのシーンどう思った!?って質問をぶつけまくったら、若干引き気味に「私もこの作品好きだけどそこまでじゃないよ…あっきーの好きとはちょっと違うから」って言われたことがあってですね。いやもう、なんか泣いた。オタクつらい。

でもオタクだからこそ、好きな音楽、好きな映画、好きなアニメ、そういう好きが私にはたくさんあるから寂しくないよ!!ヤッター!!!

 

恋愛も友達も何でもそうだけど、好きの熱量が違うとうまくいかないことって多い気がしてる。逆に好きなものやその愛し方は違っても、そこの熱量さえ合ってたら心地いいなって感じられると思ってるところある。

もう最近は恋愛に生きてる人のことは、恋愛というジャンルの住人だと思うことにしてるんですね。永遠の旬ジャンル。オタク友達の推しCP萌え語り聞くのと、リア充の友達の惚気聞くのは同じだと思えばいいと気付いた。オタクアセクシャル向けライフハック。その解釈いいやんけ…とか、そのシチュ私の推しCPにも流用できそう!って思いながら聞くリアル恋バナめちゃくちゃ楽しい、オススメ。

いまいる周りの友達、みんな理解のある子たちばかりなので、ごめんいまの彼氏さんの話めっちゃ萌えたから、推しCP BL妄想に使ってもいい!?私の脳内だけにとどめるから!!って正直に話したら、笑顔で「いいよ!」って言ってくれるんですよぉ…。ありがとう、みんな大好きー!!!

 

私は自分の好きを誰にも受け取ってもらえなかったとしても、それはそれでいいかなって思ってます。私の中で大事なのは、その「好き」という気持ちそのものだからです。それを自分が分かっていればいいし、たくさんの好きに囲まれて楽しく笑顔で生きていけたら、それ以上に幸せなことなんてないんじゃないかなって。それで十分すぎる。

誰かをうまく愛せない自分には価値なんて無いんじゃないかな?って思ったこともあるけど、自分の価値など誰にも決められるもんでもないし、この世に生まれたからには人生楽しみ尽くしてから死んでやるからな!って心に決めてる。

おひとりさまノンセクシャルの私は、誰よりも自分のために時間もお金もかけられるし、誰よりも自分を愛して生きていける可能性があるのでは!?って大発見しちゃったから、おかげさまで明るく生きていけそうです。それお前、強がりだろって笑われてもいいです!笑

 

だから私は私なりの「好き」を大事に心に抱いて、ゆっくりあたためながら、ポカポカ生きていきたいなぁ…。

 

次回は何の話にしよう??