ノンセク おひとり様人生

ノンセクシャルでも幸せに生きたい。セックスできないアラサー女のこれまでとこれからのこと。

どこにでもいる家族の話。

ブログ閲覧ありがとうございます。

仮装に忙しかったり舞台沼にハマったり、オフ会準備などでバタバタしてまして、めちゃくちゃ時間空いちゃいましたが、お久しぶりの更新です。

 

前回の「親友だったあの子の話」いままでの書いてきたブログの中でいちばん反響が大きくてとても驚いています。ツイッターのリプやDMで感想頂いたり…そのへんのPixiv小説よりも長い記事だったのにも関わらず、読んでくださった方々に感謝感激雨アラレちゃんです。

自分の今までの交友関係の様相とか、親友とは一体何なのか?っていうところを掘り下げる内容の記事だったので、リア友に読まれるのがいちばんキッツいなーと思いながら書いてました。だけどいざ読んでもらったら、お前ちょっと変わってるけど、そういうところ含めて悪くないと思っとるで!これからも宜しくな!って言ってくれた最高にクレイジーで愛おしい友達が数名いてくれてめちゃくちゃ有り難かったです。

長文LINEもらってその日一日中大号泣してしまった。彼らのことは自分のお葬式に呼ぼうと思います。ちゃんと遺書に書いとくから。みんなお願いだから私より長生きしてや!!絶対やで!!(重い)

 

前回お伝えしていたとおり、今回のブログのテーマは「家族」です。

ノンセク自認当初のお話です。前回にも増してパーソナルな話にはなってしまうんですけど、ここで嘘つく意味も特にないので正直に書きます。それで身バレとかないと思うけど、まあ軽くお話できる範囲のことだけ書こうかなーと思っています。お付き合い頂ければ幸いです。

 

みなさんが思う家族って、どんなイメージですか?

唯一、心が許せる存在?かけがえのない大切ひとたち?それとも、ちょっと口煩くてお節介?悩みの種?たぶん、それぞれ色んな意見があると思います。

家族って、基本的には自分の人生の中で同じ時間を一番長く過ごす人たちだから、お互いに大きく影響しあう存在だよなあ、と感じることが多いです。そして、社会としての最小単位であり構成人数が少ないからこそ、それぞれの特色が色濃く出る。

外から見えない部分も多いから閉鎖的だし、そこで長い時間をかけて形作られていく価値観というものは、特殊である場合も多い気がするんですよね。職業柄、色んな家族の閉ざされた部分を垣間見ることが多くて、その度に本当に色んな家族がいるんだなぁ…と驚く。

外からはちょっと変わってるように見えても、みんなで同じ価値観を持って、慣れ親しんだ環境で過ごすことが心地いいと感じる人にとっては、家に居ることが癒したり得るのだと思う。

 

そんな私もどちらかと言うと、おうち大好き派なんです。社会人アラサーにしてまだまだ実家暮らしで、親のスネかじかじしているくらいなんでね、ええ。こんなんでええんやろか?って不安になることもあるけど、正直、実家めちゃくちゃ居心地がいい。

シフトさえ伝えとけば朝は起こしてもらえるし、お弁当も持たせてくれるし、料理洗濯掃除家事全般やらなくても許される。一応お金は入れてるけど、一人暮らしする家賃光熱費考えたら半額以下な訳だし。

そういう目に見えるところだけじゃなくて、ソフト面もそう。仕事で嫌なことがあったら、玄関開けながら大声で「聞いてー!今日めっっっちゃムカつくことあってん!!」って叫んだら、そっからみんなが愚痴を聞いてくれるんですよ。それでスッキリして明日からもまた頑張ろうって思える。

一人暮らししたいなんて、ゆめゆめ思ったこともなかった。大学も就職先も、一番譲れない条件は実家から通えること。いまの職場なんて家から車で5分ですからね。最悪、歩いてでもいける。

実家、最高にも程がある。

そう思ってたんです、去年の夏までは。

 

 

ノンセクシャルを自認して、わたしの価値観はそれはもう180度ひっくり返るくらいに変化しました。いままで当たり前に思っていたことは、全然当たり前なんかじゃなくって、いろんな生き方があっていいんじゃないか?と思えるようになりました。

それまでは結婚して子どもを産み育てることこそが一番の親孝行だ、くらいに思っていたんです。だからこそ婚活もしんどいながら頑張っていたんです。でもその過程で、わたし…恋愛も結婚も全然向いてなくない??って嫌というほど分かってしまったんですね。

それに気が付いたときに、一番最初に考えたことは、人生詰んだわー!とか、この先どうしたらいいの!?とか、そういう未来を憂うことではなくて…

わたしってセクシャルマイノリティだったんだ!!ものすごいことに気がついてしまった!!そうと決まれば結婚とか出産とか無理だし彼氏とも別れよ!!はやく家族のみんなに報告しなくっちゃ!!でした。

そして自認したその日に母親にそのままスピードカミングアウトしてしまったんですねぇ…!

勢いだけでやらかしたカミングアウトは上手くいくはずもなく、そっから大ゲンカ。生まれて初めて2週間くらい口きかなかったです。

 

この話、ほかのセクマイさんにすると、なんでやねーん!!って毎回めちゃくちゃ突っ込まれるやつ。親へのカムってもの凄く気をつかうものだし、普通は慎重になるものじゃないの!?って言われました。

ほんと仰る通り過ぎますよ、そもそも自分も自認したてで混乱してるし、そこまでノンセクについての知識も揃っていない状態で、聞いて!わたし誰ともセックスできないらしい!!びっくりじゃない!?とかカミングアウトしたところで、ちゃんと相手に分かってもらえる訳がない。当然の結果としか言いようがない。

いま考え直したら、完全にマズってたな…ってすぐ分かるんですけど、あの頃の私は早く言わなくちゃ説明しなくちゃ!っていう思いしかなかったんです。

 

なんでそんなことになっちゃったんだろう?って原因を考えてみるんですけど、やっぱり私が実家と家族が大好きだからこそなんじゃないかなあ?と思います。

今まで家族のみんなと自分の価値観は一致していて当たり前だったんです。ノンセクの自認をして、これは自分がズレはじめてんな…ということに気付いたから、そこを早めに報告修正穴埋めしたくて仕方なかったんじゃないかなぁ…と。ちょっとズレはしたけど、いままで上手くいってたんだから、その価値観の変容も受け入れてもらえるに違いないって、信じて疑ってなかったです。

受け入れてもらえないかも?っていう予想すら出来てなかったので、「なに寝ぼけたこと言ってんの?セックスできない人間なんているわけないでしょ、あんた頭おかしいんじゃないの?結婚しない人生なんて許さないからね!!」って母親にガチギレされて、こっちのほうがビックリしたし、絶望感半端なかったです。

信用してた、信頼してた、そういう人たちから拒絶されること、認めれないこと、受け入れてもらえないことって、こんなに辛いんだなって思い知りました。

 

カミングアウトからの2週間、毎日のように泣いて泣いて、大好きだった家に帰りたくなくて、ほんとに病みに病みました。ノンセク自認にあたっては彼氏とのやりとりよりも、家族との擦り合わせのほうが断然ストレスの連続だった覚え。

彼氏は別に切ればいいから、理解してもらえなかったとしても構わないし、好きにしてくれって感じだったんですけど、家族はそういう訳にはいかないですからね。

カミングアウトしなければこんな苦労もせずに済んだのかも知れないですけど、家族に話さないっていう選択肢は最初から私の中にはなかったので。ここまで苦労するとは正直思ってなかったところもあるんですけどねー!!馬鹿ー!!

 

母とはしばらく冷戦状態が続くわけですが、そこでは姉の存在がとても救いでした。年齢も1個だけ上で年も近くて、もともと仲はいいほう。姉がどうかは知らないけど、わたしは自分のことシスコンだと思ってる。

ノンセクのカミングアウトは母が一番最初で、姉が二番目だったのですが、姉の反応は母とは全然違っていて「お前は昔からそんな感じやと思ってたけど??」って全然驚いてなくて、それはそれで拍子抜けでビックリした覚え。

「で?家出するん?応援するで?」って言われたけど、流石にそこまでは…って尻込みしたら、なんやねん中途半端かよー!とことん戦えよー!とか何とか言われて、姉は私とは違って昔から反抗が得意だったなーって思い出して笑った。姉が何回もゆっくりわたしの話を聞いてくれて、母との間を取り持ってくれたんです。

 

母へのカミングアウトの中で、わたしが一番ショックだったのは、母を安心させたくて始めた婚活で、しんどい思いをたくさんして自分なりに頑張った結果、やっとこさたどり着いた答えを、そんなものは思い違いだと言ったこと。わたし自身の在り方そのものを否定して、人間として欠陥があると言い切ったことでした。

母はそれを全然理解していなくて、婚活やめる!って言って怒られたから拗ねてる、くらいにしか思ってなかっただろうところが、余計にムカついてたんですよね。こっちは怒ってんだよ、そういうこっちゃねーんだよと。自分が生んで育てたクセに、実の子どもの私の気持ち、何にも分かんないのかこの人…って勝手に失望したりもしました。

血が繋がってたって、結局のところ母だって他人だし、私とは考え方も生き方も違う。そのことを私自身が受け入れられていなかった、期待しすぎていた、それはあると思います。

姉はそんな私の想いをしっかり理解して、母に分かるような言葉で何度も諭してくれていたようです。私はそれを全然知らなかったんですけど、あんなに分からず屋だった母が、ある日突然的確なポイントをついて私に謝罪してきたので、これは…完全に姉やな…ってすぐ分かりました。

ほんとは母に自分で気付いて欲しかったですけど、それを待っていたらどんたけ時間がかかっていたか分からないし、本当に家出しないといけないところまで関係が拗れていた可能性も十二分にあったので、姉にはとても感謝しています。

 

その後も母とは3回くらい話し合いをして、喧嘩もくり返して、お互いに言いたいことを言い合いました。話し合いの中で、母はひとつの疑問を私に投げかけました。

お前がうまく人を愛せないのは、お母さんが育て方を間違ったせいなんじゃない?

そう言われたとき、ほんとにほんとに辛かったです。そんな疑問を親に持たせてしまっている自分が情けなくて。わたしの思いを母が正しく理解していなかったように、わたしも母の思いをなにも分かってなかったんだなって、このとき痛いくらいに感じました。

 

少なくとも私はちゃんと愛情をもって育ててもらったと思っているんですけど、たぶん母にはその自信が無い部分があって、ずっと不安だったはずなんです。

それは祖父母と母の親子関係が特殊だったことに起因しています。その理由についてここでは詳しく話せないのですが、母の幼少期の話を聞いたり、亡くなった祖母やいま同居している祖父との関係性をみていると、母が満足に愛情を貰えずに育ったことは想像に難くありませんでした。

姉は保育関係の仕事に就いているので、わたしとはまた違った思いで母を捉えているようです。もっとこうして欲しかった、そういう思いがないかと言われたら嘘になるけど、母は自分が与えられるものをできる限り、私達姉妹に与えてくれたと思っています。

 

そんな自分が子どもを持つこと、親として愛情を与えること、ずっと引け目を感じながら母は私と姉を育てていたんだろうなぁ。だからこそ、わたしには真っ当な幸せを手に入れて、母を安心させてあげなければいけなかったのに。自分の人生は自分のものだけど、私が自分らしく生きる決断そのものが、母を傷付けることに繋がるなんて、思ってもみませんでした。

だからと言って、ノンセクだけど我慢して結婚して、我慢して子どもできるまでセックスして、我慢して生きる。その選択をすることはどうしてもできませんでした。結局わたしは自分が可愛いんだな、そう思ったら涙も出なくて、乾いた笑いだけが残った。

 

わたしがこうなったのは誰のせいでもないし、嘆くことでもない。わたしはひとりでも幸せになれるし、それを憂いてもいない。お母さんが気に病むべきことは何もない、ということは何度も言いました。

散々ぶつかり合った結果、もうお前に結婚を強いることはしない、という言質は取ったのですが、私のスタンスを認めてくれたというわけではないと思いますし、まだ親としての責任を母自身は感じているのかも知れません。

そんな調子なので、たぶんこれからも事あるごとに母とは喧嘩すると思うし、何度も説明を繰り返していく他ないんだろうなと思ってます。もう私も大人なので適度に距離を置きながら、母とは過ごしていけたらいいのかな?と考えてます。全部分かってもらえなくてもいいから、分かってもらうための努力は辞めたくないです、家族だから。

 

母と父、姉とお祖父ちゃん、そして私。

それまで家族のみんながそれなりに仲良く一緒に過ごせていたのは、価値観が同じだったからってわけではなくて、その価値観がぶつかることがなかったから。お互い譲れないものが出てきたときに、はじめてそれが表在化するんではないでしょうか?

たぶん、私の本質自体は昔からなにも変わっていないんです。気がついて居なかっただけで、もともと恋愛や結婚が難しいタイプだったと思うんです。でも、そうすることが正しいから、大好きな家族のみんなも私がそうすることを望んでいるから、そういう価値観を上塗りしていたに過ぎないんじゃないかなって。

大人になっていろんな世界を見て、自分と向き合っていくうちに、そのメッキが少しずつ剥がれて、本来の私が見えるようになってきた。長い時間一緒にいるからこそ分かることもあるけど、一緒にいるからこそ見えなくなっていくこともあるんだなぁ、っていう大事なことに気付けた気がしてます。

 

周りからは仲良しな家族にみえても、その中で起きていることは、その中にいる人間にしか分かりません。何の問題も抱えていない家族なんて、きっとひとつもないんです。

色んなことがあったし、これからもたくさん問題は起きるだろうけど、わたしは自分の家族が好きだし、これからも一緒に乗り越えていけたらいいなって、前向きに考えるしかないですね!

 

今年は母の日、なにしようかなー!