ノンセク おひとり様人生

ノンセクシャルでも幸せに生きたい。セックスできないアラサー女のこれまでとこれからのこと。

親友だったあの子の話。

こんばんは、あっきーです!

前回の記事投稿でこのブログの閲覧者数が1000人を超えましたー!みなさんありがとうございます。思いつきで始めたことですが、他の方の意見を聞いて改めて発見があったり、自分の考えを客観的に振り返ることができたり、とても有意義だなあ!と感じています。なにより書いててめちゃくちゃ楽しいのでしばらくは続けていきたいなあ…。これからもお付き合い頂けると嬉しいです。

 

前回までは、ノンセクの私なりに恋愛について本気出して考えてきたのですが、そっちはほとんど書きたいことは書けた気がするので、ちょっとおやすみ。しばらくは、私自身の体験談を中心にしたお話をさせて頂こうと思っています。ノンセクを自認してから、自分の中でほんとに色んな価値観が変わりました。それによって、今まで私が生きてきた人生や関わってきた人たちまでもが、全く違うものとして目に映るようになりました。

今まで以上にパーソナルな話になってしまうし、思い出すと胃が痛いこともたくさんあったりするんですが、面白おかしいことだけじゃなくしんどかったことも含めて、できる限りありのままに、ちゃんとここに書き留めておきたいと思ってます。

今回は「親友だったあの子の話」です。

 

貴方には親友と呼べる友達がいますか?

そう聞かれる機会って大人になるとあんまりないけど、即答で「親友います!」と答えることができる人って実は少ないんじゃないだろうかと思っている。

もうこの歳になると、こんな私と遊んでくれる友達はみんな親友くらいの気持ち。だけど、その相手も同じように思ってくれているかどうかなんて聞いたことないから分かんないし、勝手に親友自称するのもなんだかなぁ…?と悩んでしまう。なので私はその質問に対しては、仲のいい友達はいるけど親友って呼べる特定の子はいないですね、と答えると思う。

親友居ます!って即答できる人は、どうやってそれを相手と共通認識として持ってるんだろう?やっぱり、私たち親友だよねー!っていうやりとりしてるの?それとも、友達も私のこと大好きに決まってる!って思って勝手に自称してるの?自己肯定感高すぎない?どちらにしてもスゲーなって思うし、少し羨ましい。

 

そもそも親友って何なんだろう?

とりあえずは友達の上位クラスっていう認識。基本は親友は一人だけで、自分の中での仲良しランキング1位の友達のことを言うのかなって思ってる。そして相手の仲良しランキングでも自分が1位で、お互い思い合ってる時に初めて成立する他とは違う特別な友情、くらいに捉えてるんですが…。

よくよく考えたら、それって恋愛で誰かと付き合うこと以上にハードル高いのでは!?恋愛は本能だからアレやけど、親友なんて完全に任意だし作ろうと思って作るもんでもないし。親友居る人なんなの?すごくない?そんなことこのホイホイ世の中で起こるもんなの?もしかして奇跡!??

…とまあ、今現在はこんな感じの考えではあるのですが、実は私にも以前、親友らしき友達が居たことがあるんです。でも、その子と私の関係は、奇跡でも美しい友情でもなんでもない、もっと仄暗くて息苦しいものでした。

 

初めて「あの子」に出会った日のこと、今でもとても良く覚えている。

春の陽射しいっぱいの明るい教室の真ん中で、クラスメイトに囲まれて輝くような屈託のない笑顔を見せる少女、それが彼女だった。

 

地元の小学校は全校生徒150人程度、クラスもひとつだけしかないから幼稚園の頃からずっと一緒、同級生なんて兄弟姉妹同然で全員が竹馬の友。そんな田舎で私は育った。

ほとんどの子たちが小学校と同じ敷地にある公立中学校に進学するのだけれど、狭い世界しか知らないのを不憫に思った母は、私たち姉妹を山の向こうの女子校私学中学へ入学させた。慣れ親しんだ幼なじみたちと別れるのは辛かったけれど、中学はみんなと違う学校へ行くんだよ、と言うことは常々母から言われていたから、そうすることが正しいのだと思ってただ受験勉強をした。自分が望んだ訳じゃないけれど、この学校へ行くことが自分に求められている。12歳の私はそう理解した。

 

今までは近所の見知ったおじいちゃんたちに挨拶をしながら登校して、誕生日も血液型も家族構成も好きな食べ物も全部知ってる、私のこともたくさん知られている、そんな子たちと一緒に教室で勉強をしていた。

それが中学になって、毎日電車に乗って知らないおじさんの隣でつり革を持ち、名前すらも知らない同い年の少女たちがたくさん居るところで、私のことを知っている子なんて誰ひとりいない教室で過ごす。その生まれて初めての経験は私にとって不安と衝撃の連続だった。

担任の先生が言った、一年生のときできる最初の友達は人生の中でも特別です。皆さんたくさんの友情を育んでたくさん学んで大きくなりなさい、と。

当時の私は友達の作り方なんて知らなかった。

 

他人と友達になろうと努力したことなんて、それまで一度もなかった。物心ついた頃から遊んでいた友達ばかりの中で大きくなったから、初対面の同世代の子たちと何を話したらいいのか、どうやって相手のことを知ればいいのか、自分のことを知ってもらえばいいのか、その方法がなにひとつ分からなかった。

お昼ご飯は自分の机でひとりで食べた。たまに見兼ねた優しいクラスメイトが、一緒に食べようよ!と誘ってくれたりしたけれど、話を振られても緊張してしまって何にも言葉が出てこなかった。幼なじみたちの前では普通にできていたはずのことが、何ひとつできなかった。

広い教室、みんなの楽しそうな声、たくさんの人がいるこの場所で、ああ、私はひとりぼっちだ、そう思った。

 

そんなとき、教室の中で一際目立つ楽しげに笑い声をあげるグループがあった。その会話の中心に彼女はいた。雪のように真っ白でニキビひとつないなめらかな肌、キラキラと光る黒目がちな瞳、陽に当たると茶色く透ける細くて長い髪、女の子らしい高くて可愛らしい声。

彼女の全てがとても眩しかった。

そうか、誰からも好かれて友達がたくさんいる子というのは、ああいう子のことを言うんだろうな、それに比べて私はなんと平凡でつまらないことか。輝く彼女の光を浴びて、私は生まれて初めて自分の影を自覚した。

それから私は彼女をよく目で追うようになった。誰かと会話しなくても、彼女のことは教室で耳をそばだてていればそれなりに情報が入った。地元でも有名な高級住宅地に住んでいて、見たまんまのお嬢様。

きっと誰からも愛されて、いろんな人に囲まれて笑って生きてきた、そんな子なんだろうな、羨ましいな、この子みたいになれたらいいのに、ひとりぼっちの私はそんなことばかり考えていた。

 

そんな正反対な彼女と私を引き合わせた出来事、それは部活の体験入部だった。

我が家は母が昔からお琴を習っていて、家にも琴が置いてあった。祖母も母も私たち姉妹には箏曲部に入って欲しかったようだけど、身体を動かすことのほうが好きだった姉はテニス部に入部してしまって、少し残念そうにしていた。特に他に入りたい部活もないし、そのほうがみんなも喜ぶし、お琴も家にあるから練習にも困らないだろうと思い、私は箏曲部に入ることに決めた。

そろそろ新しい学校生活にも慣れ始めた教室の中は、部活何にする?という話題で持ちきりだった。普段はなかなか会話に入れない私も、その時ばかりは話題を振ってもらえて、箏曲部に入ろうと思ってる、とみんなに言った。するとそれを聞きつけたのか「私も箏曲部入りたい!一緒に体験入部行こうよ!」と声をかけられた。その声の主は、あの彼女だった。

 

部活がきっかけで、彼女と一緒に過ごす時間が増えた。もともと自分のことを話すのが得意ではない私だったけれど、そのかわりに彼女は自分のことをたくさん話してくれた。それを私は必死に聞いて相槌を打った。気の利いたことは何も言えなかったけど、それでも彼女は楽しそうに話をしてくれた。

教室でも、彼女のお陰でみんなの会話に入りやすくなった。少しずつだけど、自分のことも話せるようになっていった。ずっと羨ましいと思って外から見ていた輪の中に自分がいる、存在を許されている、ひとりじゃない、そう思えることがとても嬉しかったのを覚えている。

自分が望んで作った初めての友達、私にとって彼女は限りなく特別な存在だった。

 

私の友達ランキングは彼女が堂々たる1位。当たり前だ、友達が他にいないから。それでも彼女からしたら私はたくさんいる友達のうちのひとりに過ぎない。その友達のなかでの私のランキングなんて底辺も底辺に決まっている、そう卑下していた。

そのはずなのに、気付けば彼女はいつでも私の隣にいた。周りのクラスメイトたちからもふたりはすごく仲がいいよね!と言われるほどだった。この子はどうして何の取り柄もない私なんかと一緒に居てくれるのか。

もしかしたら他に友達が居ない私を不憫に思っての同情からかも知れない。それなら私は可哀想な私で居続けよう、そんな風に思っていた。

ある日、彼女は言った。

「私たち、親友だよ」

そう言われた時の自分の感情をあまりよく覚えていない。でもそう言われた事実はちゃんと記憶しているから、きっと嬉しかったんだと思う。親友になった私達は今まで以上にクラスでも部活でも一緒だった。家に帰ったら毎日メールをした。休みの日には毎月のように2人で出かけた。

 

入学して1年が過ぎて2年生になった私たちは別々のクラスになった。その頃には他の友達も出来ていたけど、彼女は休み時間になるたびに私のクラスまで会いに来てくれたので、変わらず一緒に過ごしていた。

2年生にもなると、女子校生活で出会いのない環境にいることに不満を感じるクラスメイトがちらほら出始めた。そんな子たちは近隣の男子校の文化祭に参加したり、紹介で知り合った男の子たちとメールをしたりと忙しそうだった。

それは彼女も例外ではなくて、この間はあそこの学校の文化祭に行ってきたとか、そこで何人もの男の子に声を掛けられただとか、いまメールしている男の子はこんな子だとか、そんなことを嬉しそうな顔で話していた。そうなんだ、良かったね、そんな相槌をうちながら私はひたすらその話を聞いていた。

 

私は同世代の男の子たちと関わるのは苦手だったので、彼女から誘われてもそういう場には行かなかった。だから実際に見たことがある訳ではないけれど、他のクラスメイトたちに比べて彼女はより多くの男の子たちから声を掛けられているようだった。それでも彼氏を作る気は本人にはないようで、その場の雰囲気を楽しんでいる感じだった。

キラキラしていて、もともと人懐っこくて物怖じしない彼女は、きっと男の子たちからも魅力的に見えるんだろうなあ、すごいなあ。私はただ素直にそう思って感心しているだけだった。けれど、彼女のモテ具合は耳の早いクラスメイトたちにもとっくに知れ渡っていて、あの子、ちょっとモテるからって調子に乗ってる、そんな羨みの目が彼女に向けられはじめた。

毎日付きまとわれるみたいに一緒にいて、ずっとモテ自慢聞かされて、あの子のこと、嫌にならないの?クラスメイトにそう聞かれたとき、私は言った。

「あの子は、親友だから」

 

 

うーん、回想長すぎィ…

最初は向こうから言われたことだったけど、自分でもあの子のこと、親友だと思ってたんですね、その頃は。ひとりぼっちだった私を救ってくれた救世主くらいの気持ちで、この子のためなら何でもできる、くらいに考えていた時期もあったくらいです。

いま思い返すと私は私で田舎の芋っこ陰キャを拗らせてた訳ですが、彼女は彼女で、お前よく女子校で生きて来られたな!?って思うくらいに、女社会で生きることに向いてないタイプでした。いわゆる絵に描いたようなぶりっ子ちゃん(死語)ってやつですね。最初の頃こそ可愛がられてたけど、男絡み出したところで息をするだけで女を敵に回す系女子に大変身してた。

そんな彼女とは結局中学高校と6年間まるまる同じ時間を過ごしました。その間に他の部活メンバーとは喧嘩したこと何度もあったけど、彼女とはそれだけ一緒に居ても衝突したこと無かったんですよね。やっぱり気が合ってるから?とか思ってたんですけど、そんなこっちゃないという真実を知るのはもっともっと先の話です。

続いて大学編。

 

 

通っていた中高には付属の大学があったけれど、他に行きたい大学があった私は外部受験をして、高校卒業を機に彼女とは離ればなれになった。それでも頻繁に連絡を取っていたし、たまには予定を合わせて会ったりもしていた。そんな私たちの関係が変化したのは1回生の夏。

彼女に初めての彼氏ができた。

相手は参加しているサークルの先輩。明るくて社交的で顔が広くてみんなの人気者なんだそうだ。彼女にはとてもお似合いに思えた。彼氏ができてからというもの、彼女からの電話やメールの頻度が極端に下がった。正直なところ少し寂しい気持ちもあったけれど、その幸せを喜ぶべきだと思った、彼女の親友として。

大学で新しくできた友達のこと、始めたバイトのこと、彼女に報告したいことがたくさんあった。でも彼女にはいま彼氏がいて、その時間を楽しんでいるのだと思ったら、なんとなく自分からは連絡し辛かった。

その時の私は気付いていない。

今まで何百回とした彼女との電話、自分のケータイを見れば着信履歴に連なるようにその名前があるけれど、リダイヤル画面にはひとつもないということに。

 

冬の気配を感じる冷たい風が吹く頃、久しぶりに彼女から連絡があった。最近、彼氏とあまり上手くいっていないという。

そんな気はしていたけれど、彼氏の愚痴を言う相手としてでもいい、まだ彼女が私を必要としてくれているという事実だけで嬉しかった。恋愛を一度もしたことのない私には、男女関係の機微なんて分かるわけもなかった。それでも必死にその話を聞いて、どんな言葉を彼女がいま欲しているのか、どうすれば彼女が幸せになれるのか、自分なりに本気で考えた。

それでも彼が好き、そう彼女は言った。

彼氏との関係が元に戻れば、私はまた必要とされなくなるかも知れない、いっそ別れてくれたらいいのに。そう思わないこともなかったけれど、彼女は復縁を望んでいて、それが自分勝手なエゴでしかないことを当時の私は理解していたので、その気持ちを必死に殺して彼女の相談に乗った。

 

その年のクリスマス、彼女から連絡があった。

自分以外の女の子にもいい顔をする彼氏にモヤモヤしているという旨の、いつも通りの愚痴を聞いた。それで終わりだと思っていたけれど、その日は違っていた。

サークルの後輩から言い寄られて、寂しさのあまりその誘いに乗った、彼女はそう言った。その後輩には別に彼女が居るとも言っていた。

次元が違いすぎる話に私は戸惑った。彼との復縁を望んでいたのに、どうしてここへ来て他の男が出てきたのか、その男が本気ならまだしもどうしてダブル浮気なのか、全然理解が追いつかない。そして、彼女の幸せを願って、自分の気持ちを必死に殺して相談に乗っていた私のやるせなさをどこへぶつけたらいいのか。

私が頭をぐるぐるさせている間にも、どんな言葉で言い寄られて、どんな風に距離を縮めて、どんな感じでその男と寝たのか、私が微塵も知りたくもないことを、彼女は嬉しそうに事細かに話をした。

「あの子のこと、嫌にならないの?」

クラスメイトに問いかけられたあの日の言葉が蘇る。

その日、私は彼女と初めて喧嘩をした。

 

 

結局のところ彼女は誰より寂しがり屋で、自分を1番に見てくれる相手を欲していたんですね。その寂しさを埋めるために男性を求めることを、今では全然悪いとは思わないんですけど、当時の私には理解するのが難しかったです。

彼女の最優先事項は相手の心の中に自分がどれだけ住めるか、ということに尽きていたので、その素材として私は一級品だったと思います。田舎から出てきて友達なんてひとりも居なくて、真っさらな状態だったんですから、そもそも心の入り口の守りもユルユルだし、独占したい放題。それはそれは住み心地の良かったことでしょう。

でも理由がどうあれ、私は彼女が居てくれたお陰で孤独な学生生活を送らずに済んだ訳ですから、なんだかんだで依存しあって、お互いを利用しあって、そうやって私たちは「見せかけの親友」として青春時代を過ごしてきたわけです。

 

歪んだ依存関係から始まった友情ではあるけれど、私の中で彼女と過ごした青春がかけがえのないものには違いなかったですし、失くしたくないと考えていたので、彼女との関係は社会人になってからも、まだ続いていました。

それでも彼女のモテ自慢や破天荒すぎる恋愛事情にはいい加減辟易していたので、そういう話題が出るとひたすら塩対応に徹していました。こっちが聞きたくないオーラ出してんのに、メンタル強いのか知らんけど、気にせずにずーっと男の話してきてたので、効果は無かったんですけどね!!!

そんな感じで、彼女のかまってちゃんぶりに呆れ果てつつも、曲がりなりにも親友だし、結婚式するときは友達代表のスピーチしてね!とかまだ言ってくるくらいだったので、腐れ縁と思ってこれからも付き合っていくんだろうな、くらいの気持ちでいました。

ところがどっこい、私がノンセクを自認したことをきっかけに事件は起こります。

 

 

婚活をきっかけに私にも生まれて初めての彼氏ができた。なんだか恥ずかしさもあるし、最初にどの友達に報告するべきか少し悩んだけれど、今まで聞いてもないのに散々恋愛話してきたくらいだから、彼女なら私の話も聞いてくれるだろう、そう思って連絡をした。

報告を聞いた彼女はとても喜んだ。相手がどんな人か気になるようで、根掘り葉掘りあれこれ色んなことを聞かれた。それからは、彼氏とのことは何かあれば彼女に相談するようにした。今まで共通の話題ではなかった恋愛の話を彼女とできることが、少し嬉しかったのを覚えている。

だけど、私の恋愛はうまくいかないことのほうが多かった。ひたすらスキンシップが苦手で、その都度彼氏と気まずくなってしまうことをすごく悩んでいた。その頃はまだ自分がノンセクだなんて気が付いていなかったから、その理由が分からなくて辛かった。もちろん、そのことも彼女に相談をした。

 

「彼氏とキスもセックスもしたくないなんてあり得ない。それ、本当に好きじゃないってことだから。結局のところ恋愛のこと何も分かってないよね。」

まるで珍しくて滑稽なものを見るように笑いながら、彼女は一言そう言った。

彼女の意見が世間一般的に見れば正論でしかないことは、ちゃんと理解できた。まともに恋愛出来ない女、間違いない。だけど少なくとも、私が欲しいのはそんな言葉ではなかった。どうしたらいいかわからなくて混乱していること、上手くできなくて辛い気持ち、そういったものにただ寄り添って欲しかっただけなのに。

 

それから程なくして、私はノンセクシャルを自認した。以前に、セックスしたくないなんてあり得ない、とまで言われていたので、私のスタンスを理解してもらうことは難しいかも知れない、そう思った。だけど、親友だからこそちゃんと話をするべきだと考えて、私は彼女へカミングアウトすることを決めた。

ノンセクシャルとは何なのか、私がどう考えているのか、どう生きていきたいと思っているのか、私は順を追って丁寧にひとつずつ彼女に説明をした。こんな私でも受け入れて欲しい、ただその一心で。

話を聞き終えた彼女は思いのほか、ショックを受けた様子も見られず、へぇー!そういう人もいるんだねー!別にいいんじゃない??と言って笑った。拒絶されなくて良かった、私はただそれに安心してしまっていた。

 

ノンセクシャルであることを彼女にカミングアウトしてからも、彼女の私に対する態度や言葉は何も変わらなかった、本当に何も変わらなかった。会えばいつも通り、言い寄ってくる男の話をする。そういう男とセックスはするくせに彼氏は作らずに、幸せな結婚がしたいと言う。

こっちが今は恋愛したくないと言っているのに、新しい出会いの場に行くことをすすめてきた。そして「前の相手が悪かっただけでしょ?まだ男と女の関係を知らないからそんな事言えるんだよ」と諭そうとする。相変わらず彼女の興味は色恋に向いていて、私と話す時の話題も男のことばかりだった。

いい加減に疲れて、男の話はやめて他の話しない?たまには私の趣味の話とかも聞いてくれてもよくない?と聞いたら「えー?それ面白くなさそう!」と一刀両断されて、さすがに閉口してしまった。この子にとって、私という存在はいったい何なのか。本当に分からなくなっていた。ノンセクシャルだから、そういう話題は苦手だから、話したくないから、だから配慮してほしい、ということではない。私がカミングアウトしたときに説明した内容を覚えていないこと、私との関わり方を見つめ直す気が彼女から微塵も感じられないことに、ただ違和感を覚えた。

 

そのとき、ふと思った。
私はいつも彼女の話を聞いて、自分なりに考えて彼女が欲しい言葉を紡いで、幸せになって欲しいと願った。だけど、彼女が私にそれを返してくれたことが一度でもあっただろうか?

思い出したように電話がかかってきたと思えば、彼女が話したいことを話して満足すればそれで通話は終わる。社交辞令でも、元気?最近どう?そんな一言をかけてもらったことなんて無かった。彼女は私のことなんてほんとはちっとも興味がなくて、ただ都合のいい時に話を聞いてくれる相手でしかないのでは?そんな疑念が頭をよぎった。

毎日忙しく働いてたまの休みに彼女に会って、違和感を感じながら話を合わせて疲れて帰る、そんな日々がだんだん馬鹿らしくなってきていた。多分、昔から彼女は何も変わっていないんだと思う。それでも違和感や嫌悪感を持つようになったのは、私が変わってしまったからなんだと気付いた。もう限界を感じ始めていた。彼女と会う頻度はどんどん減っていった。

 

去年の年末、忘年会でもやろうよ!と久々に彼女から誘いの連絡があった。正直乗り気がしない、だけど最近あんまり会ってないし年末くらいは…という謎の義務感に駆られて予定を合わせて休みを取った。

そのあとで、急遽趣味の予定が同じ日に入った。彼女と趣味を天秤に掛けたとき完全に趣味に重きがあって、断りたい、そう思ってしまった。今までなら先に約束してたし…と思えていたはずだけど、断りたくなるくらいに彼女と会いたくない自分の気持ちに気付いてしまった。

彼女は怒るだろうか、悲しむだろうか、それでも行きたくないことは変わりはない。そう思って他の予定を入れたいから日を改めてほしい、そう連絡をしてみたら、彼女は「そうなの?分かった!」と聞き分けよく私の要求は受け入れてしまって、拍子抜けした。

 

自分で言い出したことだけど、どうしてそこで彼女が私に対して怒らないのか理解できなかった。私だったら確実にキレる。先に約束してたのになんで?なんの予定があるの?そう文句を言う権利が彼女にはあるはずなのに、どうしてそれを言わないのか?

建前ばかりで正面から向き合ってくれている感じが全くしなかった。タイミングが合わなければ会えなくてもそれでいい、感情をぶつけることすら面倒だと思われているような気がして。もともとどうだって良かったけど、心に住まわせてもらえなくなったから、私という人間に余計に興味がなくなったんだろう。そうとしか考えられなかった。

彼女の本音を聞いた、そう感じたことは思えば一度もなかった。お互いの想いをぶつけて衝突したことなんて一度もなかった。いつも私が一方的に怒ったり悲しんだりしていただけで、彼女は私の瞳の中に映っている自分にしか興味がなくて、私自身のことなんて最初から見てなかったんだ、そう思った。

 

「こんな親友おかしい、もう辞めにしよう。」

そう言った。

春の日差しが明るい教室で、彼女と初めて会った日からもう15年が過ぎていた。

 

 

15年っていったら私の人生の半分以上ですよ、青春のほとんどを一緒に過ごした友達ですよ、それだけ長く共にあったのに、結局お互いのこと何にも見えて居なかったんです。その虚しさったらないわけですけど、私たちはひとりで生きることの寂しさに耐えられなかった。だからお互いに見たいものだけを見て、色んなことに気付かないフリをして、依存しあってここまで来てしまった。それに尽きると思います。

歪んでいることには違いないけれど、それをいけないことだとは責められないし、彼女といて楽しかったことだってたくさんあった。当時の私たちはそれで良かったんです。

 

だけど私はノンセクシャルの自認をきっかけに、独りにならないために自分を殺して誰かに尽くすことより、独りぼっちでもいいから自分が自分らしく生きることが大事だと考えるようになりました。

自認に至るまで、今まで人生でこんなに悩んだことない!ってくらいたくさんのことを考えました。自分で考えても答えが出ないことが多すぎて、普段はしないけれど色んな人に自分自身のことを真剣に話す機会を多く持ったんですね。その結果、ちゃんと私と向き合ってくれる人とそうでない人が周りにいるぞ、ということがこの歳になってやっと分かってきたのです。

つまり「自分を殺して誰かに尽くす私」に興味があるだけ人と、「私自身」を大切に思ってくれている人を見分けることができるようになったのです。

 

そういう価値観の変化があって、改めて自分の隣にいる親友と思ってた人間を見てみたら、なんだコイツ!?ってなっちゃったんです。百年の夢から醒めた的なアレ。

彼女は最初から私たちの関係のいびつさを理解していたと思うんですけど、私が彼女に依存していることも同時に分かっていたはずなので、まさか親友辞めようなんて言われるとは、思いもしなかったのか。LINEもツイッターもブロックしたら、別垢作って監視されたりネトストまがいのことをされました。

そこまで執着されてるとは思ってなかったので、正直かなり驚きました。私に対する興味はゼロでは無かったってことかな??とも思ったけど、ただ私の裏切りが許せないだけの可能性も微レ存なのでなんともはや。実はめちゃくちゃ恨まれてるのでは!?刺されたらどうしよう!?って思わなくもないけれど、縁切りしたことに関しては全くもって後悔していません。彼女に依存していた私と綺麗さっぱり決別したかったので!

 

まさかノンセク自認が親友との縁切りのキッカケになるなんて、私自身もびっくらぽんなわけですけど、これもいい機会だったのかなーって今は思ってます。

現在仲良くしてくれている友達は少なくとも私自身のことを見てくれる人たちなので、とても信頼できるし、何でも相談できる。こういう人間関係が健全だっていうのをやっと理解できたことは喜ばしいことなのかなと、ポジティブシンキングしてる。

ノンセクシャル、お一人様人生!って言ってるけど、全くのひとりで生きていくなんてことは、やっぱり寂しいし私には難しい。私のことを理解して、それでも付き合ってくれている友達がいるからこそ、こうやって毎日楽しく過ごせていると思ってます。友人各位、みんなありがとう…ほんとうにありがとう…。

 

世間一般的な恋愛感情があんまり分からない私にとって、友愛というのは他人に向ける感情としてはいちばん尊いものに近しいです。だからこそ、友情は大切にしたい。

これからの人生、まだまだ色んな人と出会って、色んな人間関係を築いていくことになると思うけど、私自身ちゃんと相手と真正面から真摯に向き合っていきたいなと思います。

 

めちゃくちゃ長くなってしまったけど、最後までお付き合いくださりありがとうございました!

次回は家族の話です!